僕は外的自己認識高めだと思う

読んだ本

 

感想

自己認識の話

自己認識とはなんでしょう?内的自己認識とは自分自身を明確に理解する力、外的自己認識とは周りが自分をどうみているかを知る力とこの本には書いてある。そもそも僕らは自分を認識することをあまりやってこなかったのではないだろうか?認識しなきゃいけないの?っていう人すらいるように思う。普段自分の身に起こったことや自分が起こしたことに対して考えたりするが、自分について考えることは非常難しい。いや、考えることは簡単だが、明確に理解することは極めて困難に思う。その方法やそういったエピソードをふんだんに盛り込んで説明してくれる本だった。

なぜから何の話

本書の中で、「なぜ 」という問いは基本的に自分の周りを理解する際に役立ち 、 「何 」という問いは基本的に自分を理解する際に役立つ、とあった。これにはとても大きな衝撃を受けた。僕は本質を追求して原因を特定し対処する、というのが当たり前だったからだ。その対象が自分であっても。幸いにも僕の性格的に抱え込むような性格ではないのでなぜを繰り返しても本書にあったような被害者意識にはならない。しかしこの言葉は、自分自身が嫌になってしまうような人たちの助けになる言葉なんじゃないかと思った。自分自身は何をしてきたか、何をしたのか、何をしたいのかを考えるのはなぜを考えるより簡単で、行動に則していればそれが根拠となり、揺るぎない自分自身の理解になりそうだ。

反芻の話

よく何かをしでかした時に、あーなんでこんなこと言ってしまったんだろう、みたいな思考が常に付き纏う時がある。これを反芻と言い、この考えが堂々巡りしてずっと抜け出せないという成長する観点からは非常に無駄なことがたまに起きる。これは自分のことを考えているが自己認識には繋がらないということが説明されていた。つまり反芻が起きたらさっさとその考えをやめなければならないということだ。「たいてい周りは 、こちらのミスについてこちらが思っているほど気にしていないのだと思い出すこと」と書かれていたが本当にこれに尽きるように思った。反芻が起きることを理解し、反芻することはほとんど意味をなさないことを理解し、さっさと振り払う。これはすぐに出来そうな行動なので是非ともやってみてほしい。僕はこれを知ってから1週間たったが一度振り払ったことがあるが、非常にすっきりする。

僕は外的自己認識高めだと思う

上記を読めばタイトルにも書いたこの文の意味が理解できるようになっているのではないだろうか。僕は周りからの見られた方を気にするタイプだ。特に仕事上でそう感じる。エンジニアとしてコードを他人に見せる時にもよく推敲してから見せるようにしてるなぁとこの本を読んで思った。それは僕が書いたコードという僕の一部を見てもらうような感覚であって、これを見て他人がどう思うかをすごく気にする。コードの意図が伝わる書き方か、フォーマットが整ってるか、些細なミスをしてないか。僕にとっては信用問題に繋がるような気がしてならず、その点で外的自己認識が高いんじゃないかと考えている。

さいごに

自己認識力を高めて日々の成長に繋げたいという思いでこの本を読んだ結果、見事に普段考えなかった視点と成長のための道具を手に入れたように思う。自己認識なんて考えたことなかったっていう人からもっと学びを深めたいという方までオススメできる本だった。